大阪高等裁判所 平成11年(行コ)13号 判決
主文
一 控訴人厚生大臣の本件控訴(原子爆弾被爆者医療認定申請却下処分を取り消すとの一審判決に対する控訴部分)を棄却する。
二 原判決中、控訴人国に対して金銭の支払いを命じた部分を取り消す。
三 被控訴人の控訴人国に対する請求(金銭請求部分)を棄却する。
四 訴訟費用は、一、二審を通じて、被控訴人と控訴人厚生大臣との間に生じた分は控訴人厚生大臣の負担とし、被控訴人と控訴人国との間に生じた分は、被控訴人の負担とする。
事実及び理由
(控訴の趣旨)
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
(事案の概要)
原判決「事実及び理由」の第二から第五(事案の概要、主な争点等に関する当事者の主張、証拠、原爆医療法等の定め)までを、当審での双方の補充主張及び提出証拠があったことから、原判決一二頁五行目末尾に「控訴審での被控訴人の補充主張は、本判決添付別紙(一)『被控訴人の補充主張』のとおりである。」と、原判決一二頁六行目末尾に「控訴審での控訴人らの補充主張は、本判決添付別紙(二)『控訴人らの補充主張』のとおりである。」と、原判決一二頁八行目の「本件記録」の次に「(当審記録も含む)」と付加するほかは、原判決記載のとおりであるから、これを引用する。
(判断)
原判決第六以下(判断に関する部分)を次のとおり変更する。
第一前提事実
一 序論
1 原爆医療法七条一項に基づき医療給付を受けるには、同法八条一項により控訴人厚生大臣の確認行為である認定を受けなければならず、それには、申請者が同法七条一項の要件である被爆者が現に医療を要する負傷又は疾病が原子爆弾の放射線に起因するものであるか、又は右負傷又は疾病が放射線以外の原子爆弾の傷害作用に起因するものであって、その者の治ゆ能力が原子爆弾の放射線の影響を受けているため右状態にあること(放射線起因性)と被爆者が現に医療を要する状態にあること(要医療性)を要するところ、被控訴人は、被控訴人には肝機能障害及び白血球減少症の疾病が認められ、これら疾病は本件処分の申請時において原子爆弾の放射線に起因し、現に医療を要する状態にあったので、本件処分は違法であるとしてその取消を求めているものである。
2 後述のとおり、放射線起因性及び要医療性には、被控訴人において立証を要すると考えるべきであるが、その判断には、被爆状況等に基づく推定被曝放射線量及び疾病の内容に加えて、当該被爆者の生活歴、健康状態の推移等の事実も重要な意味を持つことは明らかである。
また、控訴人らは、被控訴人主張の白血球減少症については、疾病の存在そのものについても疑問を呈している。
3 そこで、まず、原爆医療法八条一項の認定要件についての判断の前提となる被控訴人の被爆状況、生活歴、その健康状態の推移、検査状況、現在の状態等について見ることとする。なお、次項以下の認定において、被控訴人作成の陳述書等(甲一、二三、二四、七七、九七、一五〇、乙八、一一)及び原審被控訴人本人尋問の結果(第一、第二回)を証拠資料としたが、特に必要がある場合以外は掲記を省略する。
二 被爆状況
1 被控訴人は、大正一五年九月二三日生まれで、高等小学校中退後働きはじめ、海員養成所を経て船会社に配属中の昭和二〇年一月に徴兵検査を受けた。結果は、第一乙種合格で身体検査も異常なく、所要の訓練も終え、同年四月二二日に和歌山市の部隊に陸軍二等兵として入隊し、船舶工兵連隊に配属され、五月六日から通信技術の習得のため広島の船舶通信補充隊に分遣された。同隊での教育訓練を受け、広島市に原爆が投下された八月六日に原隊に復帰する予定であった。
2 昭和二〇年八月六日朝、広島市に原子爆弾が投下された当時、被控訴人は、爆心地から一・八キロメートル離れた比治山の麓にある船舶通信補充隊通信講堂(広島市皆実町所在)に集合していた。右通信講堂は、木造一階建の長方形状の建物で、その周囲に土塀がはりめぐらされ、屋根には三〇センチか四〇センチ四方のガラス窓があった。
原子爆弾の投下により、講堂の屋根が落ち、周囲の壁が崩れた。講堂及び付近建物での生存者は、屋根の下敷きになるのを免れた被控訴人ら三名だけであった。
被控訴人らは非常時の集合場所と指示されていた比治山に向かい、八月六日から一三日まで、比治山付近、宇品の陸軍船舶練習部隊付近において救護作業に関与しつつ生活を続け、同月一三日に三原の分屯隊に赴き一五日の終戦を迎え、尾道の原隊に復帰し、九月一一日に帰休除隊となった。
3 被控訴人は、建物倒壊時に鼻の右側部分に傷を負ったことを宇品に移ってから気がつき、薬を塗った。傷口は、八月一〇日ころから塞がり始め、やがて黒い跡が残った程度に回復した。
4 被控訴人の放射線被曝は、爆撃直後の身体への照射、放射性降下物であると推認される黒い灰を身体に被り、呼吸時にこれを吸入したこと、通信講堂内において受けた顔面の傷害部位から放射性物質を体内に取り込んだこと、さらに比治山付近等で救護作業に関与した間に、残留放射線による照射及び土砂、瓦礫等の挨、塵芥とともに放射性物質の吸入、また、食物、水等とともにこれらを摂取したことによるもので、初期放射線の照射、残留放射線による照射、放射性物質の体内への取り込み、体内においての長期間にわたる照射と推認されるが、八月七日から九月一一日ころまでの間、時々身体が熱っぽい感じがする程度で、他には特に身体の異常には気がつかなかった。
(乙三の証明書)
三 生活歴及び健康状況
1 被控訴人は、昭和二〇年九月一一日ころ京都府下の家に戻り、乗船業務に従事した。昭和二五年四月初めに下船し、その後、沖仲士などをしていたが、窃盗を繰返すようになり、昭和二五年五月ころ逮捕された。以来、昭和二六年から昭和三二年一一月ころまで滋賀刑務所で、昭和三三年末から昭和三五年四月ころまで京都刑務所で、同年八月から昭和三七年二月まで神戸刑務所で、昭和三九年三月から昭和四六年八月まで岐阜刑務所で、昭和四八年ころから昭和五〇年にかけて神戸刑務所で、それぞれ服役した。
そのほか、昭和五五年に短期間服役し、昭和五七年ころから昭和五八年ころまで広島刑務所に、昭和五八年八月から昭和五九年六月まで大阪刑務所に、それぞれ収容された。
2 自身の健康状態について、被控訴人は、次のように供述あるいは陳述している。
(一) 京都府下の家に戻った直後から、物を持ち上げるなどの力が出ないことに気がついた。また、しばらくして上下の歯茎からの出血や微熱が現れ、一過性の目眩があり、立ち姿勢時に目の前が暗くなり倒れそうになることがあった。また、帰省一、二か月後ころから脱毛が目立ち始めた。
(二) 昭和二五年四月に下船したのは、乗船業務中、船内の階段の上り下りが辛く、また船酔いをし、歯茎の出血もあったからである。名古屋の病院や佐世保市内のえきさい会病院で診て貰ったが、特別な異常があるとの診断はなかった。
(三) 京都刑務所、神戸刑務所で受刑中、身体の不調による作業拒否をしたため、軽屏禁、減食等の懲罰を受けた。
特に、神戸刑務所では、歯茎からの出血に加えて、背中から肩にかけて荷物を背負っているような感じが出始め、激しい耳鳴り、頭痛、目眩などが発現するようになった。そのため、再三作業拒否に及んだ。
(四) 昭和四二年三月、岐阜刑務所内の医療施設の医師に、背部痛、疲労感を訴え、広島で被爆した旨を明らかにしたことから、以後、服役中定期的に治療及び血液検査を受けることになった。さらに、血液検査の結果から、昭和四二年四月から白血球、赤血球が増加する薬の投与を受け、肝機能障害に対する点滴治療を受け、病舎に収容された。そのころに被爆者手帳の交付も受けた。
昭和四八年ころから昭和五〇年にかけて神戸刑務所で服役した際には、多量の鼻血を見たり、貧血があり、疲労感から病舎に収容され、血液検査等を受けた。
その後、広島刑務所に収容されていた際、二度にわたって刑務所外の財団法人広島県集団検診協会による血液検査を受ける機会があった。
(甲二五から二七の各一、二、八〇から八二、一〇〇、一〇一、一〇五、一〇六、乙一、三、四、五及び六の各一、二、乙一二、一三の各一、二、乙一四の一から三、原審証人鈴木憲治)
四 申請経過
1 被控訴人は、昭和五九年に、大阪市阿倍野区所在の大阪市民病院で診断を受け、その検査診断結果に基づいて原爆医療法五条の健康管理手当を受けた。昭和六〇年一月に京都市に移り、同月末ころ中京区の区役所で受給手続をして生活保護を受け、現在に至っている。
2 昭和六〇年二月、疲労感が酷いことなどから京都市丸太町の病院で血液検査を受けたところ、白血球数が二九〇〇であったので、特別手当の受給を得ようと、同年三月一八日に原爆医療法七条三項所定の指定医療機関である右京病院で受診し、原爆医療法八条一項による控訴人厚生大臣宛の同年五月一九日付認定申請書(乙一)を、大西潔作成の証明書、京都府福祉部国保援護課長作成の履歴証明書(乙三、四)、同年五月二五日付鈴木憲治医師作成の意見書及び診断書(乙五、六の各一、二。なお、「負傷又は疾病の名称」欄は「白血球減少症」と記載されていた。)を添えて京都府知事に提出し、さらに、被控訴人作成の同年六月二一日付事情説明書(乙八)を追加提出した。
右認定申請書の「負傷又は疾病の名称」欄は、「肝臓機能障害、白血球減少症」となっていた。
3 控訴人厚生大臣は、昭和六〇年一一月二八日付で被控訴人に対し「申請に係る申請人の疾病は、原爆放射能に起因する可能性は否定できる。」との理由で同申請を却下する本件処分をした(乙九)。
4 被控訴人は、昭和六一年二月一四日付で本件処分に対する異議を申し立て(乙一一)、補正命令書(乙一二の一)に基づき、昭和六一年二月八日付京都第二赤十字病院医師林英夫作成の「負傷又は疾病の名称」に「白血球減少症、血小板減少症、肝障害、高血圧」と記載された意見書等の関係書類(乙一二の二、一三の一、二、一四の一ないし三 )を提出した。
控訴人厚生大臣は、同年六月二三日付けで「異議申立人の被爆地点、被爆状況等からみて、今日の医学的知見では、申請に係る(被控訴人の)疾病は原子爆弾の放射能に起因するものとは認められない。また、当該疾病が放射能以外の原子爆弾の傷害作用に起因するものとも認められない。」との理由で同申立てを棄却した(乙一五)。
五 本訴の提起後の状況
1 被控訴人は、本件処分の取消訴訟を昭和六一年一〇月一一日、自身で(後、弁護士に委任)、京都地方裁判所に提起した(京都地方裁判所昭和六一年(行ウ)第二〇号事件、以下に述べるように、この事件が、実質上、本件京都地方裁判所平成二年(行ウ)第一七号事件である。但し、国を相手方被告としており、後に表示の変更の許可の決定があった。)。
右昭和六一年(行ウ)第二〇号事件について、相手方被告厚生大臣から、昭和六三年二月一六日、移送申立があり、被控訴人側は争ったが、昭和六三年一一月二九日「東京地方裁判所に移送する」旨の決定があり、抗告、特別抗告がなされ、最高裁判所の平成元年六月八日付の抗告棄却決定により、移送が確定し、東京地方裁判所に移送された。
2 ところが、被控訴人が京都地方裁判所に、厚生大臣を被告として本件処分の無効確認訴訟を提起し(京都地方裁判所平成元年(行ウ)第二二号事件)、これに被告側が応訴したため、東京地方裁判所は、応訴管轄が生じたとして、平成二年六月一三日、移送されてきた事件を京都地方裁判所に移送した。この東京地方裁判所から移送された事件が本件(京都地方裁判所平成二年(行ウ)第一七号事件)として、京都地方裁判所に係属することになった。
3 この間、被控訴人は、京都地方裁判所に、国を相手方として本件損害賠償事件(京都地方裁判所昭和六三年(ワ)第二二四八号事件)を提起していたが、これに、右京都地方裁判所平成元年(行ウ)二二号事件、京都地方裁判所平成二年(行ウ)第一七号事件が併合された。
4 右のような経過から、本件処分の取消訴訟の実質的な審理は、併合前の右昭和六三年(ワ)第二二四八号事件でなされていたが、それでも、実質的な審理が始まったのは、本件について当初の訴の提起があってから三年三月余を経過した平成二年一月二四日(昭和六三年(ワ)第二二四八号事件の第七回口頭弁論期日)からであった(なお、本件各事件を除く関連事件は、その後、取り下げられた)。
六 通院状況、検査結果等
1 本件訴訟提起後も、被控訴人は、右京病院、京都第二赤十字病院、中京保健所、京都府立医科大学附属病院、京都市立病院において被爆者検診を受け、また、特別のことがない限り四週間に一度京都市立病院等で受診し、血圧測定、血液検査等を受け、投薬を受けていたが、日常、家で横になっていることがもっぱらであり、右治療にもかかわらず症状は悪化し、平成一〇年一一月、平成一一年八月に肝細胞癌で入院した(甲一三五の診断書、同一五〇の陳述書)。
2 右認定の生活歴から、被控訴人に関しては、岐阜刑務所、神戸刑務所、広島刑務所で受刑中の検査結果及び右各病院での検査結果及び診断結果が残されている。これを整理すると本判決添付(別紙)(三)の一「検査結果表(一)」(控訴人らの原審第一八準備書面添付。なお、正常値の範囲については、当然、議論のあるところで、控訴人らは白血球数について検査方法も含め問題としている。)のとおりとなる。
右のほかに、被控訴人は、平成元年から同八年にかけて京都府立医科大学附属病院で、平成一二年五月に京都市立病院で受診しているが、その際の検査結果(甲一四二の一ないし五、同一五一の健康管理手当用の診断書)及び京都府立医科大学附属病院での血液検査結果及び骨髄穿刺結果(甲一四三)は本判決添付別紙(三)の二「検査結果表(二)」のとおりである。
なお、京都市立病院医師金龍起作成平成一一年一二月二一日付診断書(甲一三五)によれば、被控訴人の病名は「肝硬変(C型肝炎ウイルス陽性)、肝細胞癌合併起立性低血圧」であり、白血球数は、一一月三〇日検査時二二〇〇(内好中球四四・五パーセント、絶対数九七九)、一二月二一日検査時三〇〇〇(内好中球四二・九パーセント、絶対数一二八七)であった。
3 被控訴人の疾病について
(一) 前述のとおり、被控訴人は、被爆直後から一貫して身体が不調であった旨供述(陳述)している。現在の状態から過去を振り返ってのものであるから、誇張した面が多々あると推測せざるを得ないが、それでも、刑務所内でも検査治療を受けており、検査結果が残っている昭和四二年以降、肝機能のGOT、GPTの数値は一貫して正常値ではなく、昭和六一年一月以降、肝機能検査の結果は、すべて肝機能障害もしくは肝硬変の診断がなされている。
この経過から、被控訴人は、血液に関して受刑中からなんらかの治療を受けていたこと及び遅くとも昭和六一年ころから肝機能障害の疾病があることは疑いがないところである。
なお、肝機能障害に関しては、本件申請書に添付された意見書及び診断書(乙五、六の各一、二)作成時の昭和六〇年五月時点で、HBS抗体・抗原とも陰性(原審証人鈴木憲治平成四年一二月七日期日尋問調書)であったが、その一年足らず後の昭和六一年一月六日の検査では、HBS抗体陽性、HBS抗原は陰性(乙一三の一)となっており、また、京都市立病院平成八年五月二三日付検査結果では、「C型慢性肝炎」と診断されている(甲一〇〇)。
「放射線起因性」に関して、ウイルス感染による疾患を考慮するべきかは検討を要するところである。そして、C型肝炎は、血液を介してC型肝炎ウイルスに感染し、慢性肝炎が長期にわたって続くが、発症までの潜伏期間がながく、ウイルスが発見されたのは平成元年で、検査方法が確立したのはその後である(乙三〇、七七の一ないし六)。
(二) 次に、本判決添付の各検査結果表から明らかなように、五〇〇〇ないし八五〇〇(per cmm)を白血球数の正常値とした場合、被控訴人の白血球数は、一時期を除けば、正常値より少ないことになる。三九〇〇ないし九八〇〇を「基準値」とした場合でも、検査の大半において基準値より少ない。
前記のとおり鈴木憲治医師作成の意見書及び診断書(乙五、六の各一、二)には、被控訴人の「負傷又は疾病の名称」として「白血球減少症」と記載され、被控訴人は「白血球減少症」を原爆医療法七条一項所定の疾病であるとして、本件申請をしているところ、控訴人らは、「白血球減少症」というのは症状であって疾病ではないと主張する。
いかなる基礎疾患によって「白血球減少症」が生じているかは放射線起因性の存否との関係で当然問題となるが、医師が疾病であるとの意見書及び診断書を作成しており、医学事典(甲一三二)の「生体の機能が障害を受け、停止ないし異常をきたしている状態」という定義からしても、「白血球減少症」が疾病の概念に含まれないとは考えられないので、控訴人らのこの主張について特に検討する必要はない。
七 白血球減少症の原因
1 慢性肝機能障害ないし慢性肝疾患は、脾臓を肥大させ、白血球の減少が生じるが、その機序は、脾臓の機能は老廃した血液細胞を処理(破壊)することにあるところ、肥大した脾腫では赤色髄の増大に伴い、流入した血液が滞り、その結果、血球補足、破壊機能が増し(脾機能亢進)、その結果、末梢血中では血球が減少するというものである。
このように血液細胞の処理(破壊)の増大をきたすので、生体の恒常性維持の働きから、骨髄は造血亢進(骨髄過形成)の像を呈することになる(乙四二の内科学III 、甲一一四の齋藤意見書(一))。
右知見を前提に、齋藤意見書(一)ないし(三)(甲一一四、一二六、一四九)は、骨髄穿刺法での塗抹染色標本顕微鏡所見によれば、日本人の有核細胞数は平均値一五六〇〇〇/μl(甲一〇七の「臨床検査技術全書三、血液検査)、M/E比(白血球系の細胞と赤芽球系の細胞との比率)二・五六を下回っていて、著明な低形成性骨髄といえるもので、平成九年で低形成がいっそうすすんでおり、造血機能低下を示す骨髄低形成は一貫した所見であるとしている。
なお、右齋藤意見書(一)ないし(三)が根拠としている骨髄穿刺法での検査結果は、以下のとおりである。
昭和六〇年(乙五、六の各一、二)
有核細胞数六・〇六万/μl M/E比二・三
場所 胸骨
平成九年八月四日(甲一〇五、一〇六。報告書に「低形成骨髄」との記載)
有核細胞数三・二五万/μl M/E比二・三
場所 腸骨
また、当審で提出された、京都府立医科大学附属病院での昭和六一年一〇月一八日骨髄穿刺法による検査結果(甲一四三の一、二)は、M/E比二・七一であるが、有核細胞数八八八〇〇/μl(場所胸骨)で「骨髄低形成」との診断がなされている。
2 齋藤意見書(一)ないし(三)は、被控訴人の「白血球減少症」が造血機能の異常による根拠として、肝機能障害に起因するとすると白血球数が肝臓の症状と整合しないことも挙げているところ、控訴人らは、右論拠に疑問を呈している。
低形成性骨髄が認められれば、控訴人らのこの疑問は、問題にする必要はないところ、低形成性骨髄が認め難い根拠として、控訴人らは、昭和六〇年の検査結果では、分画が正常で、M/E比も正常範囲であるから、骨髄機能は正常と考えるのが医学的にみて相当であるとか、有核細胞数は日によって変化し、測定の場所によっても異なるので、被控訴人に関してはデータが不足しており、低形成性骨髄との判断はできない等縷々齋藤意見書に対する疑問点を指摘する。
有核細胞数の確認等について、控訴人らが主張する問題があるにしても、三回の骨髄穿刺法による検査で低形成性骨髄と診断されているのである。そして、この検査が苦痛をともなうものであることは控訴人らも争っていないことからすると、控訴人ら主張の検査結果等の疑問があることをもって、右検査結果さらには骨髄低形成を疑うことはできないというほかなく、被控訴人の白血球減少症は、造血機能の異常に起因するという齋藤意見書(一)ないし(三)は、論拠のあるものといえる。
第二疾病の放射線起因性について
一 起因性の立証責任について
1 訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではないが、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とすると解すべきであるというのが確定した先例である。
そして、行政処分の要件として因果関係の存在が必要とされる場合に、その拒否処分の取消訴訟において被処分者がすべき因果関係の立証の程度は、特別の定めがない限り、通常の民事訴訟における場合と異なるものではない。
原審は、原爆医療法八条一項の認定の要件とされている放射線起因性について、「申請者の負傷又は罹患した疾病が、原爆の放射線を原因とする可能性が原爆の放射線以外のものを原因とする可能性より相対的に高いことを証明すれば足り、その場合には厚生大臣は同法八条一項の認定をしなければならない」との立場をとっているが、この見解は採用できない。
2 しかし、疾病の発症には個体差、生活歴という多数の事象が関与しているので、ある疾病がある特定の原因によって生じた機序を直接証明することは、一般的に困難である。さらに、放射線が身体になんらかの損傷を与えることは明らかだとしても、被曝放射線量と身体の損傷の相関関係は明確なものではなく、長期間経過後にその影響が出てくる可能性もある。
「(放射線被曝により)出現してきた人体影響は個々の症例を観察するかぎり、放射線に特異的な症状をもっているわけではなく、一般にみられる症状とまったく同様の症状をもっており、放射線に起因するか否かの見きわめは不可能である。しかし、被曝集団として考えると、集団中に発生する疾病の頻度が高い場合があり、そのような疾病は放射線に起因している可能性が強いと判断される。このように放射線後障害は高い統計的解析のうえにその存在が明らかにされてくるという特徴がある。」(乙二四の放射線被曝者医療国際協力推進協議会編「原爆放射線の人体影響1992」一一頁)との記述は、当然の指摘であろう。
これら事情に加え、原爆被爆者の被曝放射線量そのものも推定によるほかないうえ、広島型の原子爆弾の投下は一度のみでその線量評価については不明な点がある。
このように放射線起因性の存否に関して用いることのできる科学的知見も、経験則も十分なものではなく、確定できる間接的事実も、要証事実(因果関係)推認の推定法則(経験則)も不十分というほかない。
3 もっとも、この点に関し、控訴人らは、被曝放射線量の推定については、核爆発実験結果、広島、長崎の被爆資料に基づく検証結果によって、また、人体に対する放射線被曝の影響については、放射線障害さらに医学等における放射線の利用から、被爆者の推定被曝線量及び人体、臓器及び細胞への放射線の影響について権威ある機関による科学的知見が十分に集積されてきており、これら知見によれば、被控訴人の疾病に放射線起因性がないことは明らかである旨主張し、これを裏付ける多数の資料を提出している(被曝放射線量の推定については乙一七、一九、三二、三三、八六等及び放射線被曝の影響については乙一八の一、二、乙二〇ないし二四、三一、四二、九〇等及び原審証人古賀祐彦、同野村武夫)。
すなわち、控訴人らは、<1> 従前の原子爆弾による放射線量推定方式であるT六五D(一九六五年暫定線量)を見直した放射線量評価システムであるDS八六は、線量評価に関し設置された日米合同の委員会により一九八六年(昭和六一年)三月に承認されたもので、被曝線量を検討するうえで、世界的に評価され、信頼に足るものである、<2> 放射線被曝の人体に及ぼす影響には、線量の増大が障害の発生確率を増大させる確率的影響と線量の増大が障害の症状を重篤化させる確定的影響とがあり、がんの誘発と遺伝的影響のみが前者に属し、それ以外はすべて後者に属する、<3> 確定的影響に関しては、一定線量以上の放射線を浴びないと当該組織全体として影響を受けなかったり、影響検出前に回復するしきい値があるとされ、本件で問題となっている肝機能障害及び造血障害は確定的影響であり、肝機能に永続的な障害が生じる耐容線量は一〇〇〇ラド以上であり、白血球減少症は急性の全身被曝の場合でも二五ラド以上である(甲一三一、乙一八の一、二、乙二二、四二、原審証人野村武夫)との科学的知見が集積しており、そして、DS八六に基づく、被控訴人が被爆した爆心地から一八〇〇メートルにおける空中線量は一五・二ラド程度と推定されるところ、建物等の遮へい効果により、被控訴人の被曝線量はこれよりはるかに少なく、人体の臓器線量は当然これより少なくなり、放射線の人体影響のしきい値からすれば、被控訴人に放射線の影響はまったく考えられないと主張する。
4 DS八六の委員会での承認時期(昭和六一年三月)からすると、本件申請時及び異議申立時において、被控訴人の推定被曝放射線量は、いずれもT六五D方式に基づいてなされたと推認されるところ、被控訴人被爆地点の空中線量は、控訴人らの主張するところでは、六・八ラドということであった(原審第六準備書面五丁裏記載)が、前記のとおりDS八六によれば、被爆地点一八〇〇メートルの空中総線量は一五・二ラドということである。
そうすると、本件申請時及び異議申立時において、推定された被控訴人の被曝放射線量は、過少に推定されたことになる。さらに、DS八六にも一定の誤差があることは控訴人らの認めているところであり、その推定被曝量が近距離では過大評価、遠距離では過小評価であるとかの問題点が指摘されている(甲二、同七八、八七、八八、一二一の各意見書、原審証人安斉育郎、同澤田照二。乙三二の一、二の証人調書。他方、乙五五の小佐田敏荘の意見書等、これら見解に対する反論もある。)。
以上、要するに、最新の知見であるDS八六の被曝線量推定方式による被控訴人の推定被曝線量は、本件申請時及び異議申立時に採用されたT六五D推定方式よる被曝線量よりも多いと推定されること、そして、控訴人らの主張するようにDS八六の被曝線量推定方式は、それなりに信頼に足るものであろうが、遠距離被曝ついて問題点が指摘されており、絶対的なものとは見なしがたいということである。
5 さらに、一定線量以上の放射線を浴びないと人体に影響はなく、なんらかの損傷があっても回復し、なんらの後遺症状が生じることがないとのしきい値理論も、絶対的なものとは受け取りがたい。
昭和三三年八月一三日付け厚生省公衆衛生局長の「原子爆弾後遺障害治療指針」(甲二〇)には、原子爆弾後障害症のうちで最も変化が著しく、発現率の高いのは造血機能障害であること、一見順調に機能が維持されているかにみえるものでも、将来突然変調をきたす場合もあるので注意する必要がある等の記載がある。「治療指針」のこの記載は、診療方針に関して留意すべき事項を定めたものであり、また、その後の知見の集積により、従前、放射線起因性の証明があったとされていたものが否定されることも生じているであろうことは、控訴人らの主張するとおりであろう。
しかし、「人間の細胞のなかで~放射線にもっとも敏感な細胞は、白血球の一種であるリンパ球である。」(乙二〇の「放射線健康管理学」三五頁)とか、「増殖中の造血細胞は、身体で最も放射線感受性の高いものの一つである。」(乙二二の「電離放射線の非確率影響」二六頁)との見解、また、「放射線被曝は生体に多大な影響を与える。ことに生体内で増殖能力の高い細胞再生系が影響を受けやすくそのような組織のひとつに造血組織があげられる。放射線被曝による急性障害の鍵を握るのが造血障害であるとともに、被爆者の晩発障害としての白血病が多発することも良く知られた事実であり、その障害がきわめて長期間にわたって持続する。」(甲一一三の広島大学原爆放射能医学研究所の年報三二号『一九九一年』)等の見解が示しているように、造血細胞が身体でも最も放射線感受性の高いことからすると、「治療指針」の右記載が、その後の知見によりまったく無意味となったとは到底考えられない。
さらに、原判決添付(別紙)(八)の平成六年九月一九日付の認定基準(内規)は、被曝放射線量を、爆心地からの距離、遮蔽の存否、滞在時間によって推定し、一定の疾病には確率的影響があるとして、推定放射線量と疾病の種類を対比させて起因性の存否を判断している。認定基準(内規)の推定被曝放射線量及び放射線によって生じる障害内容については異論はあろうが、認定基準(内規)においても、「恒久的な造血機能障害」については、一〇ラドをもって放射線起因性を認めている。これは、他の障害と比較して造血細胞が放射線感受性が高いことによることを前提としていると考えられる。
これらの点から、造血作用の異常について、しきい値理論をそのまま当てはめるのは疑問と言うほかない。
二 肝機能障害の起因
1 被控訴人は、肝機能障害と被曝の統計的有意性を強調する。「放射線後遺症は高い統計的解析のうえにその存在が明らかにされてくる特徴がある。」(前記乙二四の放射線被曝者医療国際協力推進協議会編「原爆放射線の人体影響1992」一一頁)ことは否定できないであろうが、右乙二四においても、「放射線に起因している『可能性が強い』と判断される」と述べており、個別的な疾病について、統計上の有意性があるとされているからといって、その有意性のある事実が疾病の直接の原因であるとは認められない。
そして、規則正しい生活をしていたから肝炎に罹患することはないとは言えないばかりか、一般に、慢性肝炎はウイルスによるものが多いとされているところ、被控訴人がC型肝炎ウイルスに罹患していることが明らかになったのは平成八年であるが、C型肝炎ウイルスの検査方法が確立したのは平成三年ころであることなど、申請時においてもウイルスに感染していた可能性があり(乙二八、原審証人鈴木憲治ほか)、被控訴人の慢性肝炎の直接の原因はウイルスによる可能性が高く、肝機能障害については放射能起因性が認められないというほかない。
2 免疫力の低下によってウイルスに罹患することはあるであろうが、そうであれば、当然、肝炎ウイルスに罹患する以前に他の疾病に罹患していたはずであるが、そのような事実は窺えない。
また、認定は個別的な判断であるから、C型肝炎ウイルスの被爆者が認定された前例があることをもって、被控訴人も認定されるべきことにはならないことも明らかである。
三 白血球減少症の起因
1 原判決添付(別紙)(八)の認定基準(内規)においては、確定的影響である「恒久的な造血機能障害」の場合に、被曝線量一〇ラドで放射線起因性が認められる扱いとなっている。DS八六に基づく推定によれば、被控訴人の被曝地点の放射線総量は一〇ラドを上回ることになるところ、被控訴人の「白血球減少症」が「恒久的」であるかはともかく、骨髄による造血異常が原因で、「造血機能障害」であることは前認定のとおりである。
2 造血作用は放射線感受性が高く、従来、「造血機能障害」について起因性を認めていた判断も、それなりに根拠があったと考えられるので、被控訴人の「造血機能障害」による「白血球減少症」は、放射線起因性のある疾病と認めて相当である。
3 なお、控訴人らは、申請時において、被控訴人の「白血球減少症」については、データが不足しており、却下処分に違法はなかったと主張するが、申請時に添付されていた意見書及び診断書に骨髄検査の結果「全体的に低形成を呈している」旨記載してあること(乙五、六の各一、二、原審証人鈴木憲治)及び被控訴人の申請後の症状の経緯は、結局のところ、申請時の症状が顕在化したと評価せざるを得ないところであって、この主張は採用できない。
第三要医療性について
前認定のとおり、被控訴人は、申請時以降、少なくとも四週間に一度程度の定期的な医師の診察のほかに、適時の応急的な治療などをも必要とすると認められ、また、平成一〇年一一月、平成一一年八月に肝細胞癌で入院したのであって、急激な衰弱等が生じた場合には応急的な治療が迫られることも十分予想される。
被控訴人の現在の最大の疾病は肝癌であるから、申請時とは治療の必要性は異なっていることになるが、控訴人の症状が骨髄の造血作用の異常に起因することからすると、現在の治療の大半は放射線起因性があると認められ、原爆医療法七条一項に定める「医療を要する状態にある」に該当すると認めて相当である。
第四処分の違法性
以上のとおり、被控訴人の「白血球減少症」は骨髄の造血作用の異常に起因するものであって放射線起因性があり、また、要医療性も認められるので、被控訴人の疾病と原爆放射能の起因性を否定できるとした原子爆弾被爆者医療審議会の調査審議及び判断の過程につき、過誤が認められる。そして、本件処分はこの調査審議及び判断に依拠したことは明らかなので、本件処分は違法事由があることになる。
第五国家賠償について
一 前述のとおり、本件処分はT六五D方式に基づいてなされたと推認されるところ、当時、この線量推定方式も体系的線量評価システムとして取り扱われていたのであり、また、しきい値の理論も放射線による障害の調査・研究に基づくものと評価されていたのである。
放射線起因性の判断において、ある時期の判断基準を、その後に明らかになった原爆による被曝放射線量あるいは被曝放射線による人体の障害についての調査、研究による科学的知見に基づいて、改訂するのは当然であり、その結果、従前ならば、起因性ありとされていたものが起因性が認められないことになったり、あるいはその逆になったりすることはあり得ることである。
よって、ある時期の当時の科学的知見に基づく判断基準が、後に、その後に明らかになった科学的知見に基づいて改訂されたからといって、その当時の判断基準に基づいてなされた厚生大臣の判断に過失があることにならない。
二 また、その後に明らかになった科学的知見に基づき、判断過程の合理化さらには簡易化がなされることも当然のことで、そのような見地から認定基準(内規)を設けること自体許されることである。
現在、この認定基準(内規)がどのように運用されているかは明らかでないが(控訴人らは、認定の際の振り分けの基準に過ぎないと主張している)、審査会がこの基準に盲従しているものでないことは、平成七年一一月に、近距離被爆ではあるが屋内でのC型慢性肝炎の被爆者が認定されていること(甲六七の一、二)及び乙八一の陳述書、八四の一、二の審議のための準備書類等から明らかである。
そうだとすると、本件申請時の審査会は適正な手続きに基づき、当時の知見に基づいて審査をしたと認められ、よって、本件処分が控訴人厚生大臣の不法行為に該当するとは認められない。
三 原爆被爆者特別措置法二条又は旧原爆被爆者援護法二四条は、認定があれば申請の日の属する月の翌月から遡及して特別手当が給付される旨規定しているので、本件処分によって損害が生じたとの被控訴人の主張自体検討の余地があるところであるが、いずれにしろ、本件処分が不法行為に該当しないので、被控訴人の損害賠償請求は、特別手当又は医療特別手当の給付に関する損害請求も、慰謝料請求も理由がない。
第六結論
以上の次第で、本件処分は取り消しを免れないので、これと同旨の原判決は相当で、この部分の控訴は理由がないのでこの部分の控訴を棄却し、他方、被控訴人の損害賠償請求は理由がないので、原判決を取り消し、被控訴人の請求を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡部崇明 裁判官 白井博文 裁判官 古川行男)
別紙(一) 被控訴人の補充主張
第一放射性起因性
一 立証責任について
旧原爆医療法は、社会保障法と国家補償法との二つの法的性質をあわせ有しているが、国家補償法的性格を重視すべきであるから、同法八条一項の「起因性」については立証責任を転換し、厚生大臣に負わせるべきであるが、原判決のように立証の程度を軽減することも、実質的に立証責任の転換を可能にするもので、相当である。
旧原爆医療法七条一項には、旧原爆特別措置法のように、証明責任を転換する旨の規定はないが、両者は別個の法律で、制定時期も異なるから、旧原爆医療法七条一項の要件は、当該法規の解釈・運用に委ねられていると解されるところ、旧原爆医療法の右のような立法趣旨から、原判決の解釈は正しい解釈である。
なお、法規の解釈にあたって、行政庁の解釈実務に裁判所が拘束されることはないが、当該法規の運用に携わっている行政庁の解釈実務を参照するのは当然のことで、行政庁の解釈・運用が裁判所の解釈を裏付ける場合、裁判所が判断の妥当性の根拠として引用するのは当然のことである。
二 疾病の放射能起因性
「起因性」について高度の蓋然性が要件だとしても、被控訴人の症状が原爆放射線に起因することは明らかである。
1 被控訴人は、昭和二〇年八月六日、爆心地から一・八キロメートル離れた広島市皆実町の船舶通信補充隊の通信講堂内において原爆に被爆し、身体に放射線の照射を受け、同日、放射性降下物であると推認される黒い灰を身体に被ったほか、呼吸時にこれを吸入し、通信講堂内において受けた顔面の傷害部位からも放射性物質を体内に取り込み、さらに同日から同月一三日まで、通信講堂付近、比治山付近、宇品の陸軍船舶練習部隊付近において、被爆した負傷者の看護や死体の収容の業務にあたった際に、残留放射線や放射性物質を体内に取り込んだ。
初期の放射線照射のほかに、右残留放射線や体内に取り込んだ放射線物質により、体内においても長期にわたって放射線の影響を受け、それまでの健康体を失い、慢性的な脱力感、易疲労感、食欲不振等言葉に表わせない症状に苦しめられ、さらに、被爆直後から昭和二一年二月ころまでの間、微熱、目眩、脱毛、歯茎からの出血などがあった。
2 白血球減少症についてであるが、被控訴人の白血球数に関しては継続的且つ正確なデータがそろっており、昭和四〇年以降、白血球数は異常値を持続している。さらに、異なる医師三名が、異なる時期に三度の骨髄検査を行い、骨髄低形成であるとの一致した検査結果を得ているのである。
医師により原爆被爆の後遺症である可能性が強く指摘されており、骨髄に原因がある白血球減少症であるから、原爆放射線に起因するものとしか考えられない。そして、控訴人らの主張は、以下のとおり、いずれも理由がない。
(一) そもそも、「白血球減少症」と診断をしたのは医師である。また、白血球数の「基準値」を提案している乙六九の「正常値と異常値との間」の一〇四頁表4「健康成人の白血球数と白血球分類値」において、白血球数を三九〇〇ないし九八〇〇としているところ、被控訴人の白血球数が「基準範囲」の下限を下回るものであることは明らかである。すなわち、被控訴人には、実体として白血球減少があり、有核細胞数五万/μlという低形成骨髄を示し、倦怠感という自覚症状がある。
白血球の少ない健常者もいるであろうが、持続して強い症状を持ちあるいは健康を害したと推認できる被害歴があり、それが白血球減少に平行している場合、その白血球減少は、当然、健常人に見られる白血球減少と異なる見方をしなければならない。
控訴人らは、白血球数が基準値からずれていても、病的なもので重篤でなければならないとか、「(白血球減少)症」の「症」の意味を問題にして病名に該らないとか主張するが、この主張は、異常に高い程度の白血球減少数を基準に、自ら勝手に重篤を設定し、これに該らないと主張しているのであって、被控訴人の症状、苦痛を無視し、救済を切捨てているものである。
また、不可欠な検査ないしデータが不足しているのであれば、補充を求めたり、直接診察すれば足りることである。控訴人らは、従来、必要があれば、診察等を行うと説明をしていたのであって、データ不足との控訴人らの主張は、従来説明してきたこととも矛盾するもので失当である。
(二) 甲一四四の一ないし三の論文は、好中球数減少の定義を成人で一八〇〇以下とし、「好中球実数が一〇〇〇/μl以下であるとかなり危険で、インフルエンザやいわゆる風邪に罹患した際は、特に老人の場合は、重篤な肺炎に陥り、死亡する危険性が大である」と述べている。
被控訴人は、好中球数減少症であることを前提に、医者から無理をしないこと、かぜをひかないこと、うがい、手を洗うこと等を厳しく注意されており、一年のうち三〇日位しか、半日または一日の外出をすることができず、家の中で横になっているのが常態で、自宅で最小限の動作をすることによってのみ、生存を許されているのである。
好中球数が五〇〇~一五〇〇の間にある場合でも、被控訴人に治療がなされたことがうかがわれないので、被控訴人は疾病ではないとの控訴人らの主張が理由のないことは、右の事実から明らかである。
(三) 被控訴人の白血球減少は、放射線起因性を認めて合理的説明がつくもので、多数の被爆者の検診から一定の結論を得た「原爆被爆者における顕粒球減少症リンパ球サブセットの解析」(甲一四四の一)によれば、被爆者には好中球減少率が高いこと、特定の血液疾患を指摘できない好中球減少の中にも、白血病を含め、未知の病体が含まれていることを指摘しており、被爆の後遺は、被爆者の体内でなお未知なのである。
そして、本件と同様の事案が白血球減少症で認定されており、しかも、その際、データー等も求めなかったのであるから、本件却下処分はこの点からまったく不公平である。
3 被控訴人の肝機能障害の原因は、原爆放射線以外に考えられないし、被控訴人がC型肝炎ウイルスに感染したとしても、被爆直後から認定申請に至る症状の経過からすると、感染は放射線による免疫機能低下によるものである。
肝機能障害の放射線起因性についての控訴人らの反論も、以下のとおり理由がない。
(一) 被控訴人の診断名が不可逆的な「肝硬変」から「肝機能障害」へ、そしてC型肝炎と診断名が変遷していることをもって、控訴人らは、被控訴人提出の被爆者検診の結果が信頼できないと主張する。
しかし、肝硬変の臨床像、検査所見は広いスペクトラムをもっており、その結果、厳格な診断名が避けられたに過ぎない。また、「不可逆的変化」といっても、その変化は年単位の遅々たるものである。また、GPTの数値を押さえることにより繊維化の動きが緩やかになるといわれているところ、被控訴人の昭和六〇年以降のGOTやGPTの数値が八〇となっていることもあることからすると、被控訴人の場合、肝機能が保たれている肝硬変(代償性肝硬変)といえる。肝炎から肝硬変への移行は、血小板数の漸減及び肝実質の繊維化が知られており、被控訴人の場合、血小板数は一時快復したものの、平成四年以降漸減しており、肝実質の繊維化は進展しているのである。
いずれにしろ、主治医が慢性肝炎と肝硬変の区別を意識せずに、全体として「肝機能障害」と表現したのであって、診断名の変遷についての控訴人らの非難は当たらない。
(二) 原爆放射線の被曝と慢性肝機能障害との間に有意の相関があることは、放射線影響研究所(RERF)の検討によって確認されている(甲一四五)。C型肝炎ウイルスによる肝癌発症にどのように影響するのかは充分に解明されていないが、放射線被曝による免疫力の低下によりウイルス性肝炎に罹患すること、一旦感染したC型肝炎ウイルスが、その発症を促進することは、「成人健康調査第七報原爆被爆者における癌以外の疾患の発生率」(乙三六)や「放影ニュースレーダ二三〇号」(甲四七)に、「免疫力の低下がウイルス感染の原因であること」、「原爆被爆者では原発性肝癌の発生頻度が上昇していることが観察されていること」などとして指摘されており、肝炎や肝癌発症に、放射線被曝とウイルスが共同成因をなすことは、医学文献に明白に原理的に示されているところである。
(三) 控訴人厚生大臣においても、原爆放射線との関連が一定程度認められるとして、広島の爆心地から一・八キロメートルの地点付近で被爆した者のC型慢性肝炎に罹患した慢性肝機能障害について、放射線起因性を数多く認定しているのである。
4 被曝放射線量の具体的数値が示されていないから被控訴人に対する影響を肯定できる経験則がないとか、残留放射線は極めて微量であるとか、初期放射線の寄与がほとんどで、他の形態の被曝の寄与は少ないとか控訴人らは主張するが、原爆被爆による健康への影響は複合的で、二キロ以上の被爆者のみならず、三日以内入市被爆者でも、非被爆者と比べ、疫学的に有意に癌が多いことが示されている(甲一三四広島医学四二巻一〇号一五八〇頁)。
控訴人らは、DS八六の内容は科学的で、充分検証されかつその限界についても充分議論されているものであると主張するが、実測値からまったく乖離したもので、その推定値が不確実であることは明らかである。
また、控訴人ら主張のしきい値の理論が、遠距離及び入市被爆者の急性症状を説明できないことも明らかとなっている。
第二要医療性
一 本件申請時、被控訴人が重篤な肝機能障害及び白血球減少症に苦しんでいたこと、これら症状の治療が必要な状態にあったことは明らかで、応急的治療が迫られることも充分予想されたので、本件申請時において要医療性の要件はあった。
二 原判決直前、被控訴人は、体調を崩し約三週間入院治療を余儀なくされ、現在も、定期的な通院による投薬治療、慎重な経過観察各種検査によりかろうじて寝たり起きたりの生活を維持できる状態であり、急激な衰弱が生じた場合、応急的な治療が迫られることも度々である。
さらに、平成一二年五月九日付診断書(甲一五一)によれば、被控訴人は、白血球数一八〇〇、顕粒球数七〇二、肝機能障害のため外来通院加療中であるなど、深刻な症状で、要医療性は明らかである。
なお、取消訴訟における違法判断の基準時が処分時であるのは当然であるが、違法判断の基準時の問題は、あくまでも事実状態あるいは法令に関するもので、その有無等を判断する資料(間接事実、証拠等)に関するものではない。
したがって、民事訴訟の一般原則に従い、口頭弁論終結時までに提出されたすべての資料を斟酌し得るのであり、処分後に生じた事実であっても処分当時の事情を推認する資料として用いることができる。
第三国家賠償法上の請求について
一 原判決添付八の「認定基準(内規)」は、結局のところ「爆心地からの距離」のみを重視する不合理かつ不当な基準であるところ、審議会の審議の実態からすると、事務局がこの「認定基準」に従って被爆地点からの距離によって被曝線量を推定し、それによって疾病との因果関係を判断して「分類もしくは振りわけ」、審議会が無批判に追認しているにすぎないと推察される。
原判決は、審議会のこのようなお粗末な審議の実態を前提に、審議会が被控訴人の疾病について放射線起因性を否定する意見を提出したのは、審議会として払うべき注意義務に反する違法なものと判断したのであって、正当な判断である。
そして、このような審議会の意見を前提になされた本件処分は、厚生大臣の違法な処分であり、当然、国家賠償法上の賠償義務が生じる。
二 他の救済手段があり、それに排他性が与えられていれば国賠法上の請求は許されないであろうが、本件取消訴訟については排他性は認めておらず、本件において被控訴人が必要な権利行使を怠ってもいないので、国賠法上の請求に問題はない。
取消訴訟は、処分の違法を宣言する形成訴訟であって給付判決ではないので、原状回復を確実ならしめるには、給付訴訟を提起する必要がある場合がある。本件も取消訴訟のみでは被控訴人の求める原状回復がすべて満たされるものではなく、違法な行政処分による精神的損害、弁護士費用はもとより、処分取消がなされてもその内容どおりの給付がなされる保証は必ずしもないので、これらを含めた損害賠償請求を行なう必要がある。
本件処分が違法とされ、新たに支給処分がなされることにより初めて給付請求権が発生するというのであれば、尚更のこと、すべての損害を回復するために損害賠償請求が認められなければならない。
三 なお、被控訴人の損害は、昭和六〇年六月分から平成一二年五月分までの医療特別手当相当額が合計二二五〇万九八〇〇円と増額しているが、本訴では、内金請求として従前の額を請求することとする。
第四慰謝料請求
控訴人らは、違法な行政処分の是正の審理にはある程度の時間がかかることが見込まれるので、その審理がある程度長時間にわたったからといって、特別の事情がない限り、慰謝料をもって賠償するべき精神的損害があったとはいえないと主張するが、本件申請が認定申請から一四年近くも経過した現在でも認められないというのは、まったく異常で精神的損害としての慰謝料が認められて当然である。
以上
別紙(二) 控訴人らの補充主張
第一放射線起因性について
一 立証責任
1 旧原爆医療法八条一項の認定には、同法七条一項の定めるところの、原子爆弾の放射線の作用と傷害又は疾病にかかり現に医療を要する状態にあることとの因果関係、又は原子爆弾の放射線の作用とその者の治癒能力が低下したこと及び治癒能力の低下と現に医療を要する状態にあることとの間の因果関係があることが要件となる。
原判決は、原爆の被爆による被害等の特殊性(一回性)、国家補償法的配慮を根底とする旧原爆医療法の性格をもって、放射線起因性の証明の程度を軽減し得るとしているが、そもそも訴訟法上の証明の程度を、実体法の解釈により軽減できるとする点で誤っている。
訴訟上の証明の程度は、実体法の解釈問題ではなく、行政事件訴訟法七条が準用する民事訴訟法の解釈問題であり、立法者が実質的に証明の程度を変えようとする場合は、立法に当たり実体法上の要件の内容を変えることによってこれをなし得るし、またそれ以外の方法によっては、証明の程度の変更をなし得ない。
2 原判決は、昭和三三年八月一三日付け衛発第七二六号厚生省公衆衛生局長通知「原子爆弾後遺障害治療指針について」及び同日付け衛発第七二七号同局長通知「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律により行う健康診断の実施要領について」の各通達あるいは過去の認定例をもって、放射線起因性の解釈根拠としている。
しかし、治療指針は、診療方針に関して留意すべき事項を定めたものであり、実施要領は、原爆医療法に基づき被爆者の健康診断を行うに当たって考慮すべき事項を定めたものであって、これら通達は放射線起因性の証明責任の所在及びその程度に関する根拠となり得る性質のものでない。
また、昭和四三年五月から昭和四五年三月までの慢性肝障害の認定例は、当時の科学的医学的知見を前提とする限り、何ら不自然なことではない。しかし、以前の知見では放射線起因性の証明があったとされたが、医学及び被曝線量の評価等に関する知見の向上に伴って医療関係者が利用し得る知識が向上し、現在では放射線起因性が高度の蓋然性をもって証明されたとはいえないことになったとしても不思議はない。治療指針、実施要領、過去の認定例をもって、放射線起因性の解釈根拠としている原判決の立論は、暴論と言うほかない。
3 原判決は、本件処分の理由が「申請に係る申請人の疾病は、原爆放射線に起因する可能性を否定できる」としていることをもって、「本件処分時審査の実情、審査資料等からしても、文言上も、被告厚生大臣が所持する資料によって被控訴人の本件疾病が原爆放射線に起因するものであることを否定することができる旨言明したものとするのが素直な理解であり、その基礎にある考え方は、当裁判所の考え方に近い」と判示している。
しかし、右記載は、控訴人厚生大臣が行政庁として、被控訴人の疾病につき放射線起因性を確信をもって否定できると考えて、その旨記載したものにすぎず、放射線起因性の証明責任の帰属や証明の程度を意識して記載したものではない。
通常、行政処分の理由の記載は、当該行政処分の内容に即して記載されるものであって、裁判における立証責任やその程度を意識して記載されるものでないことは常識である。原判決の右判示が根拠がないことは、控訴人厚生大臣がなした本件処分の異議申立てに対する決定の理由(乙一五)中で、「申請に係る疾病は原子爆弾の放射能に起因するとは認められない。」と記述していることからも明らかである。
したがって、本件処分理由の文言ないし表現をもって、証明責任の所在及び程度に関する控訴人厚生大臣の考え方をうんぬんすることは全くの的外れである。
二 放射線起因性の不存在
放射線起因性について高度の蓋然性の程度まで証明する必要があることを前提とした場合、現在判明している科学的医学的知見を基礎とすると、原判決の認定した事実関係では、放射線起因性を肯定することができない。そして、現在の確立したしきい値の理論及びDS八六による空中線量の推定が反証として十分に働き、放射線起因性を肯定する余地がなくなること、また、被控訴人の肝機能障害及び白血球減少が、旧原爆医療法七条一項の要件である要医療性を肯定できない。その詳細は、以下のとおりである。
1 原判決は、<1> 被控訴人は、初期放射線の照射を受けた上、残留放射線による照射とともに放射性物質の相当量を体内に取り込み、体内において長期間にわたって放射線による照射を受けてきたものと認められること、<2> 一般に肝機能障害の原因として放射線の被曝のほかに、アルコール、ウイルス等が挙げられるところ、被控訴人にアルコールの多量摂取などがあったとは認められず、本件処分までにウイルス等の感染があったとの資料もないこと。<3> 昭和六〇年五月の診察検査の結果等からして、被控訴人の白血球減少は白血球を構成する好中球の減少によるものと推認され、一般に好中球減少の原因として挙げられる放射線、脾腫を伴う疾患(脾機能充進症及び肝硬変症等)以外の感染症、遺伝性疾患等に被控訴人が罹患したことをうかがわせるに足りる経過又は資料等がないこと、<4> 脾腫と白血球減少症との因果関係については、今日の多数者の考えでは、肥大した脾では赤色髄の増大に伴い、血球捕捉、破壊能力が増し、その結果骨髄での造血は正常ないし充逸しているにもかかわらず、末梢血中では血球が減少するという経過をたどるものと理解されるが、被控訴人には二度にわたる骨髄検査によって骨髄の低形成が見られる点などからして、被控訴人の白血球減少症が慢性肝炎又は肝硬変を原発性疾患とする脾機能充進症によるものとは考えられないとしている。
2 しかしながら、右<1>の残留放射能による被曝や放射性物質の体内摂取による体内被曝による健康影響の存在は、被控訴人の供述に基づいて認定した同人の被爆時の状況や被爆後の行動からの推測にすぎず、その推測の科学的医学的根拠が全く明らかでない上、被控訴人が具体的にどの程度の放射線の被曝があったかについて、その具体的数値を概算でも示されていないので、被控訴人に対するこれらの影響を肯定できるだけの経験則はいまだ示されていないというべきである。
なお、当該症状の原因が放射線のほかに複数存在する場合、放射線被曝を原因とする可能性が他原因に比べて相対的に高いといえるかどうかにしても、被曝線量を抜きにしては判断できないことは明らかである。
そして、控訴人らが、残留放射線による被曝や体内被曝の影響を問題とする必要がないことにつき、これまでの調査結果や現時点における知見等を具体的に示して明らかにしたにもかかわらず、原判決は、これらの点について検討した形跡が全くなく、失当である。
3 前記<2>については、被控訴人の慢性的肝機能障害はC型慢性肝炎によるものであるところ、C型ウイルスの存在が明らかになったのは平成元年のことであるから、昭和六〇年の本件処分時までにC型ウイルスの感染があったことの資料がないのは当然で、そのことを理由に処分時までに被控訴人がC型ウイルスの感染がなく、C型慢性肝炎に罹患していなかったということはできない。
慢性肝炎の原因のうち、最も多いのがウイルス性の慢性肝炎であること、C型慢性肝炎は往々にして潜伏期間が長期にわたることなどからすると、被控訴人の慢性的肝機能障害は、本件申請時には診断できなかったC型慢性肝炎によるものであり、C型慢性肝炎の原因はC型ウイルス以外にない以上、原爆放射線によるものではないことは明らかである。
さらに、提出された診断書等の断名欄を見ると昭和六三年に初めて肝硬変という診断名がついた後、平成五年には肝機能障害という表現に変わり、再び平成八年からはC型肝炎という診断名に変わっている。
肝硬変にまで至ると、肝炎やあるいは元の健康な状態には戻ることはなく、肝硬変は不可逆的であるとされている。
常識的には、肝硬変が、単なる肝機能障害に戻り、肝炎に戻るはずはないのに、常識とかけ離れた診断名の推移があるのは、正確な診断を行うに足るような十分な検査がなされないまま診断名がつけられた可能性があることを示している。
4 <3>及び<4>の白血球減少症についての判断も、被控訴人の慢性的肝機能障害は、C型慢性肝炎によるものであり、しかも肝硬変に移行しつつあるものによる可能性が高いとすれば、白血球数の減少は、骨髄における造血機能の障害によるものではなく、慢性的肝機能障害ないし慢性肝疾患により脾臓が肥大したことによると考えるのが医学的に最も常識的であり、このように考えても、原判決が問題としている二度の骨髄低形成所見と矛盾するものではないので、失当である。
5 すなわら、被控訴人の「白血球減少症」を原爆放射線に起因する骨髄造血機能異常であるとするのは、医学的に種々の問題点があり、何よりも正確な診断のために不可欠な検査ないしデータが不足している。
また、仮に、被控訴人に白血球の減少があるとしても、被控訴人の免疫力が低下していることは、高度の蓋然性をもつ程度まで立証されておらず、したがって、被控訴人は旧原爆医療法七条一項の治癒能力の低下の要件にも該当しない。
(一) 白血球数の減少をみたときに、通常、行うべき検査は、白血球分画検査と骨髄検査であるところ、骨髄所見に関しては、骨髄穿刺液による検査は、骨髄液を採取する場所により骨髄液の成分にばらつきが出てくるために骨髄穿刺液による検査に限界があるにもかかわらず、原判決は、これらの点について何ら具体的に検討することなく、右骨髄所見をもって、前記<4>のごとき判断をしている。
さらに、人の末梢血中の白血球数は変動しやすいものであり、日内変動もあり、体調によっては劇的に変動するものであるから、白血球数の長期的変動を分析する場合、極端に高い、あるいは低い数字のデータは省いて分析すべきであるのに、齋藤意見書では、そのような操作がなされておらず、骨髄所見、齋藤意見書は、放射線起因性を基礎づける事実としては不十分である。
(二) そもそも、白血球減少症とは、通常人より白血球が少ないということを意味するにすぎず、それが病的な原因によるものかは、詳細な検討をしなければならず、白血球減少と倦怠感という自覚症状が平行したことをもって疾病が存するというためには、白血球減少から倦怠感が生じる蓋然性を立証しなければならず、「被害歴」と白血球減少の両方を考慮して、疾病であるかどうかを判断すべきではない。そして、その立証されて後、初めて、その疾病と原爆放射線との関係が問題となるのである。
さらに、「臨床検査データブック1999-2000」(乙六八)に「正常域(または正常範囲、正常値)という用語は、健常者から得られた検査値の範囲として医師の意思決定のための一つの“物差し”を示すものとして定義づけられ、利用されてきた。そして、臨床化学の領域では、計測値が定量的に取り扱われる機会が多いことから、健常群と疾患群を区別する値として理解され利用されてきた。しかし、医師が病態を把握し、意思決定として診断または治療を行うには、短絡的な正常域の利用ではなく、いくつかの成分を組み合わせるとか、形態学的な情報を組み合わせるとか、病気か病気でないかを確率的に推定するとか、単なる数値の比較以外の過程を踏むことが要求されている。しかし、健康診断など、疾病の予防の対策が広く普及するにつれ、この正常域という言葉は、医療関係者以外の一般市民の間でも健康の自己管理のために利用されることになる。ここでは、用語のもつ意味から病気と病気でないものを判別する値として理解され、それが混乱を招くことになった。」「正常範囲ではなく、基準範囲(reference intervals)という言葉を利用することを提案した。」とあり、現在では、正常値という言葉は誤解を招く言葉とされている。
そして、白血球数の基準値を見ると、「正常値と異常値の間」の一〇四ページ(乙六九)では成人男子で三九〇〇から九八〇〇/μlとあり、一方「正常値第三版」の四〇七ページ(乙七〇)では、成人男子で二五〇〇から八七〇〇/μlとある。白血球数の調査の対象としてどの集団を選んだかで正常値の範囲はこれだけ異なってくるのであって、正常か異常かを判定するに当たっては、どういう集団でどのような方法で白血球数を測定したかということを慎重に考慮した上でなければならない。
(三) 昭和六〇年以降の被控訴人の白血球数を見ると、白血球数は、おおむね、二五〇〇/μl以上であり、これを下回ったことは二度ほどしかなく、乙七〇記載の値を採用すれば、おおむね二五〇〇/μl以上という被控訴人の白血球数は、あながち異常値とはいえなくなる。
また、白血球数の減少が果たしてどのような病状によるものであり、どのような病態であるかについて検索する場合、他の血球成分の状況も慎重に検討しておく必要があるところ、赤血球に係るデータをみると、例えば、昭和六一年一月と昭和六二年七月を比べると、赤血球数は四九四万から三〇五万へと低下しているにもかかわらず、逆にヘモグロビン値は一四・二から一七・二へと上昇している。一方昭和六三年一一月と平成元年九月を比べると、赤血球数は二九八万から四四二万へと上昇しているにも関わらず、ヘモグロビン値は一五・〇から一四・九へと横ばいである。
ヘモグロビンは、赤血球中に存するものであり、一般にヘモグロビン値と赤血球数は比例するものであるはずなのに、右データはそのようになっていない。
(四) 齋藤意見書は、「著名な低形成骨髄」、「骨髄は低形成性を著明に示しており」等と繰り返し述べているが、病理組織診検査報告書(甲一〇五、一〇六)では単に「低形成骨髄」と記されているにとどまり、その程度等詳細には全く言及されていない。
また、低形成骨髄とは、骨髄の細胞髄と脂肪髄を比較して、脂肪髄に対する細胞髄の比が正常に比べ低いことを指すのであるが、その程度等詳細を表すため、細胞髄と脂肪髄の比を実際に測定した数値か、目測によって判定した概略の数値が記録されるべきであるのに、甲一〇五、一〇六には、この数値が記載されていない。
つまり、被控訴人が著明な低形成骨髄であったとするデータの詳細は、何も被控訴人から提出されておらず、その上、齋藤意見書の述べる「低形成骨髄」が、病的なものであると判断するに足りるデータが何もないのである。
しかも、齋藤意見書は、「平成九年では低形成がいっそうすすんでおり」と述べるが、これは、昭和六〇年の骨髄検査に当たっては組織診の結果が記載されていないから、おそらく、二回の骨髄検査における有核細胞数を対比しての推論であると思われるが、骨髄穿刺液の有核細胞数は、穿刺手技のいかんにより大きく左右されるので、骨髄の低形成が進んだとの齋藤意見書の右推論は、正確性に欠けるといわざるを得ない。
(五) 結局のところ、被控訴人の白血球の減少が、病気、疾病によるものか否か、白血球減少により免疫が低下しているかを判断することは、被控訴人の骨髄検査等のデータの不足により、不可能というほかない。
すなわち、血液疾患の診断には骨髄の検査が必須であるが、骨髄検査だけでなく、細胞表面マーカー、染色体分析等他の検査の結果ともあわせて総合的に検討を行う必要があるところ、被控訴人については、細胞表面マーカー、染色体分析等他の検査結果は提出されておらず、総合的に検討して、被控訴人の白血球の減少が病的なり、異常なりの判断を下したとの形跡がないのである。
(六) 本件処分の申請時の資料からすると、肝障害が認められ、軽度の脾腫大があり、血小板数及び白血球数の減少があるものの、骨髄は、分画が正常であり、M/E比も正常範囲であるから、正常と考える方が妥当で、総合的に判断すれば、医学的には、白血球減少の原因は肝障害によるものと考えるのが、最も可能性が高い。
仮に、被控訴人の主張どおり、被控訴人の白血球数減少を肝炎・肝硬変等とは切り離して、言い換えれば放射線の直接影響と考えるとしても、被控訴人の白血球数のデータをもって、直ちに疾病や病気に結びつけることには慎重でなければならない。
6 なお、原判決は、「昭和二〇年秋以降の脱毛、歯茎からの出血も被爆時の放射線の影響によるものと見るほかない」とするが、脱毛症状が存在しただけでは放射線起因性を推認できず、少なくともその症状の経過等が放射線による急性症状としての医学的知見に合致する必要があるにもかかわらず、その点についての検討がなく、また、肝機能障害と白血球の減少との関連性はないから、放射線起因性を肯定する根拠足り得ない事情である。
三 被曝放射線量の評価による反証について
1 DS八六によれば、被控訴人の被爆地点一八〇〇メートルにおける空中線量は、ガンマ線一五ラドと中性子線〇・一三ラド合計一五・一三ラドであること、また、被控訴人は、土塀に囲まれた木造家屋の中で被爆したので、建物等の構成物が放射線を吸収し、遮へい効果を持つから、被控訴人の被曝線量は、DS八六による推定被曝線量よりはるかに少ない線量であり、しかも、その地点における人体の臓器線量は当然これより少なくなる。
被控訴人の被爆状況が一応被控訴人主張のとおりであるとして、被控訴人の総被曝線量を試算してみると、土塀に囲まれた木造家屋の中で被爆した場合の被曝線量は自由空間中のガンマ線と中性子線の五・二パーセントであるから、ガンマ線が〇・七八ラドと中性子線が〇・〇〇七ラド合計〇・七八七ラドであり、本件で問題となる骨髄と肝臓の臓器線量は、骨髄がガンマ線〇・六三ラドと中性子線〇・〇〇三ラドの合計〇・六三三ラドであり、肝臓がガンマ線〇・六〇ラドと中性子線〇・〇〇二の合計〇・六〇二ラドとなる。そして、中性子線とガンマ線との線質による生物学的効果比を考慮すると、その吸収線量は、骨髄が〇・六三九ラドであり、肝臓が〇・六一二ラドとなる。
残留放射線による被曝や放射性物質の体内摂取による体内被曝による被曝線量は評価するに足りないし、放射線の人体影響のしきい値及びDS八六に基づく放射線量からすれば、被控訴人に対する放射線の影響は全く考えられない。
前記のとおり、被控訴人の現症状が放射線起因性を積極的に肯定する事実が乏しいことからも、右しきい値と被曝線量の評価の値は、被控訴人の放射線起因性の立証に対して、十分すぎるほどの反証となる。
2 控訴人らも、DS八六にも、ある一定の誤差、限界があることが指摘されていることは否定しないが、DS八六が科学的な推定体系であることからすれば、ある一定の誤差、限界をもつことは、当然ともいえる。
しかしながら、DS八六が、現在における最も適切な被曝線量推定方式であることも間違いのないところで、国際放射線防護委員会が定める放射線防護基準策定の最も重要な根拠として、DS八六に基づいて推定された被曝線量によって調査された原爆被爆者における疫学調査の結果が用いられていることからも明らかであるし、また、平成一二年三月に財団法人放射線影響研究所が主催して行ったDS八六に関するワークショップにおいてとりまとめられた声明(乙九一)においても、そのことが認められている。
原判決は、さしたる理由もなく、DS八六の有効性をすべて否定してしまい、科学的根拠に基づかない独自の想像だけで、被控訴人の被曝線量につき何ら科学的に考慮することなく、原爆放射線の起因性を肯定してしまっている。しかしながら、被控訴人の被曝線量の推計を抜きにして、原爆放射線の起因性は、判断できないし、DS八六なしに被控訴人の被曝線量を推定することはできないのである。
また、しきい値理論は確立した知見で、異論を呈するものは見当たらないのであって、しきい値は、ある疾病や症状の放射線起因性の有無を検討するに当たっては、最有力の科学的医学的知見の一つであることは疑いがない。
第二要医療性について
一 被控訴人の肝機能障害は肝硬変に移行しつつあるC型慢性肝炎によるものであり、その原因はC型ウイルスであって、放射線によるものではない。
よって、肝機能障害について要医療性を認めることは、そもそもその前提において誤っている。
また、白血球減少も、前述したとおり、骨髄における造血機能の障害によるものではなく、肝硬変に移行しつつあるC型慢性肝炎により脾臓が肥大したことによると考えるのが自然である。
被控訴人の骨髄障害の程度が、白血球減少(好中球減少)による易感染性ともいえる状況であり、GーCSF投与の適応にも匹敵するほどの重篤な状態であるとすれば、通常の医師・医療機関ならば、全力を挙げて骨髄の傷害の程度や状態、その原因の確認のために、必要な検査を行うはずであって、骨髄穿刺程度ですましているはずはない。
よって、被控訴人が感染症に罹患しやすい状態にあることを認めるに足りず、その症状は、要医療性の要件を欠いている。
二 要医療性の有無は、当然のことながら本件処分時において問題とされるべきところ、原判決は、被控訴人の現在の症状について判示しているにすぎない。
本件処分時において要医療性を認めるに足りる症状については明らかでない上、治療についても、現時点において四週間に一度程度の医師の診察が必要であるとするだけで、それ以外の治療の要否及びその内容については具体的に明らかにしていない。原判決がいう「適時の応急的な治療」も、将来において急激な衰弱等が生じた場合に必要になるというものにすぎず、現時点においては、その必要性は単なる抽象的な可能性にとどまるものというべきであって、要医療性を認めるには全く不十分である。
ちなみに、症状の経過観察が必要であるとすれば、被控訴人が支給を受けていると思われる一般疾病医療費(旧原爆医療法一四条の二)で足りると考えられるし、また、造血機能障害については、健康管理手当(旧原爆特別措置法五条)の対象となる。
第三国家賠償請求について
一 被控訴人の肝機能障害及び白血球減少症の放射線起因性及び要医療性の証明はなく、本件処分は適法であるから、本件処分の違法を理由とする控訴人国に対する国賠法一条一項に基づく損害賠償請求も、その余の点を検討するまでもなく、失当である。
仮に本件処分が違法であったとしても、以下に述べるとおり、本件処分が国賠法上違法であり、控訴人厚生大臣に過失があったとはいえず、原判決の判断は誤っており、取消しを免れない。
二 本件申請当時、線量推定体系であるT六五Dによって推定された被曝線量としきい値が放射線起因性の判定における最も重要かつ有力な科学的医学的知見であったことは疑いのないことであったから、審議会が原則的にこれに従って申請に係る疾病の放射線起因性を検討することは当然のことである。
右知見により放射線起因性の有無が明白である場合に、当該申請者の被爆時の状況、その後の病歴、現症状等を、提出された資料に基づいて、審議会がその場で検討しなかったからといって、旧原爆医療法の立法趣旨に沿わない違法かつ不合理な審議であるといえないことは明らかで、その審議が国賠法上違法とされる余地は全くない。
原判決は、審議会において、被控訴人を診察しなかったことや主治医から意見を聴取しなかったことも問題としているが、そもそも、申請に当たっては、申請者を診察した医師の医学的所見や医学的検査結果その他の資料が提出されているのであるから、問題となるべき事柄ではない。
三 原判決は、本件申請についての審議の仕方が、厚生省公衆衛生局長の「治療指針」、「実施要領」の各通達に反し、その審議の結果も従来の認定例と整合性を欠くとし、これをもって、右審議が国賠法上違法であるというのであろうが、前述したとおり、治療指針は、あくまで旧原爆医療法一一条一項の健康保険の診療方針に関して、特に留意すべき事項を定めたものであり、また、実施要領も、原爆医療法に基づき、被爆者の健康診断を行うに当たって考慮すべき事項を定めたものであって、もとより審議会の審議方法の準則を定めたものではない。
昭和三三年行政通知が前提としていた知見は、被曝線量評価にしても被爆者の健康調査にしても、極めて限られたものであったのであり、その後、長期にわたる広範な疫学研究や放射線による治療のデータ等が積み重なり、しきい値の理論は極めて進化し、また、被曝線量の評価もT六五D、DS八六まで進化しているものであって、このような医学や被曝線量の評価等に関する知見が向上すれば、審議会における放射線起因性の審議のあり方も当時と違ったものとなることは当然である。
科学的医学的知見が進歩し、より詳細な判断が可能になってくれば、かつて認定されていた事案と同種の事案が認定されない場合が出てくることも避けられないところで、原判決は、こうした点を無視して、昭和三三年行政通知が前提としていた当時の科学的医学的知見ないし過去の認定事案当時における認定の水準に基づき、本件申請の審議を国賠法上違法とするものであって、その誤りは明らかである。
四 以上のとおり、本件申請当時、線量推定体系であるT六五Dによって推定された被曝線量としきい値が放射線起因性の判定における最も重要かつ有力な科学的医学的知見であったことに加え、本件申請に当たって被控訴人から提出された医師の医学的所見や医学的検査結果その他の資料を検討しているので本件申請の審議が審議会として払うべき注意義務に違反したものとはいえず、また、審議会の審議及び意見の科学的技術的性質を考慮すれば、控訴人厚生大臣が審議会の意見に従って本件処分をしたことに過失はない。
第四損害について
一 税務処分や年金支給決定のように、直接金銭上の権利義務に係る処分について国家賠償請求を認めると、出訴期間や不服申立前置の意義を失わせることになるので、このような行政処分の取消訴訟とは別に、右給付相当額を損害として国家賠償請求訴訟を提起することは、許されないというべきである(塩野宏・行政法II(第二版)二三七ページ)。
二 本件処分についてみると、本件処分は、「医療の給付」(同法七条)並びに「医療費」(同法一四条)、「医療特別手当」(旧原爆特別措置法二条)及び「特別手当」(同法三条)の各支給にかかわるもので、直接金銭に関する権利義務に関する処分であるから、本件処分の取消訴訟とは別に、実質的に同一機能を有する国家賠償請求訴訟を提起し、右給付相当額を損害として請求することは許されない。
しかも、右給付請求権は、本件処分が違法とされ、新たに右支給に関する処分がなされることにより、初めて発生するものであり、それまでは、右給付相当額の損害が発生しているということもできない。
三 行政処分に不服がある場合には、行政不服申立てや取消訴訟の提起により違法な行政処分の是正が法制度として予定されており、そのための審理にある程度の時間がかかることは見込まれているから、その審理がある程度長期間にわたったからといって、右事情だけでは、特段の事情がない限り、慰謝料をもって賠償すべき精神的損害があったとはいえないというべきである。
さもないと、行政処分の取消訴訟を提起し、その取消判決が確定するまでに期間を要したことだけで、常に精神的損害があったとして慰謝料が認められることになりかねない。
本件の争点の内容や審理の経過等からして、本件において、特段の事由に該当するような事情は全くないにもかかわらず、原判決は、安易に慰謝料をもって償うべき精神的損害があると判断したもので、失当である。
以上
別紙(三)の一、二<省略>